頑張ったくらいで、できる気になって
早いもので、前住職(父)が亡くなってもう六年。今週末に七回忌を勤めます。
穏やかな人だった、厳しい人だった、とご門徒さんから見た父の姿は驚くほど様々。
子供を亡くして本当に寄り添ってもらったと声を詰まらせお話し下さった方もあり、
その方々の中に今も僧侶としての父がいることに、心が震えました。
小学生の頃から月参りを勤め、70年近くを僧侶として歩んだ父。
私にとっては先輩僧侶であるとともにやはり父であり、最近は時折、心配そうに私を見ているような父の姿を想います。
父亡きあと夢中で駆け抜けてきた日々、余裕なくいつも何かに追われ、緊張感で一杯になって、眉間に皺を寄せて強がってきた私。
そこには、ご門徒皆さんにがっかりされたくない、迷惑をかけてはいけないとか、やっぱり女住職ではダメだなって思われたくない、ポンコツぶりがバレたくないとか、そんな私自身の焦りが大部分を占めていたように思います。
父が築いて来たものを、少し頑張ったくらいで引き継ぐことができる気になって。
私がしっかりしないと、私が頑張らないといけないと思い込んで、文字にすると見事な私、私のオンパレードです。
住職を継承して「これから益々頑張ります」と恩師に挨拶をしたとき、間髪入れずに「頑張ったらいかん」「頑張ったりなんかしたらロクなことにならん」という言葉を今になって思い出します。
蓮如さんの御文を一緒に読み、僧侶はご門徒さんに育てられるのだ、衣に助けられ、ご門徒さんにもたれて生きているのだと教えて頂いたのに、いつの間にかすっかり忘れていた自分に唖然とします。
父は亡くなっているけれど、存在はなくなってはいない。
もっと肩の力を抜きなさい。一人で頑張っているつもりになっているよ。
そんな父の声と私を案じているような顔。
見せかけの強さはもう終了です。弱くて間違ってばかりの私のままで、ご門徒さんと共にただ歩いて往くのみ。
仏法に出遇えた喜びを胸に、ゆっくりと。
それしか出来ないし、しなくていい。
焦って走り続けて気付くのに六年もかかってしまったけれども、立ち止まる機縁。
そんな心持ちで父の七回忌を迎えたいと思います。